クラブの新たな継承発展のために

ご存じのように20年あまりクラブを牽引してきた和田前会長は、のんびり自由に車好きとして活動したいと退会なさいました。1910年製シルバーゴーストで走って見せ、ロールス・ロイスの実用性と歴史のある華麗さを機会あるごとにお披露目してくれた和田さんにはずっと敬意を表しております。まさに古いクルマは飾っていないで乗って見せて知らしめるべき、という私の考えを実践してくれた方です。その長年の尽力は感謝しきれません。

クラブ活動が若干硬直化、マンネリ化してくるのはどこの何のクラブにでもあることで、早めに世代交代をという声もありました。副会長だった丸井さんをはじめ、神崎さん、添田さんもクラブを去って、個人の楽しみに戻るということになって、クラブも世代交代、刷新、変革の時を迎えようとしているようです。私は口出ししないように見守っているつもりでしたが、誰という会長候補がいないので、とりあえずのつなぎに、誰でも知っているから、納得する顔として、役員の推薦を受けて私が今更の会長役をお引き受けするという運びになりました。76歳で恐縮かつ正直しんどい気持ちもあります。だから活動は若い方にお任せして、会長とはいえ、橋渡しや顔つなぎ、旗振り応援役のつもりでおります。Rolls-Royceのハイフォンと呼ばれたクロード・ジョンソンのように裏方の下支えの気持ちです。例えば加須を中心に舞台の提供、場所の提供はお任せください。

ロールス・ロイスに乗るような方たちは皆一国一城の主(あるじ)だし、私は商売柄お仕えする立場です。今になって涌井かという声も、誰より自分が一番感じておりますが、クラブの理念を掲げた時の初心を振り返って、今一度、知的で、探求心あふれ、かつアクティブな活動をと願っております。

クラブを始めたころは、ロールス・ロイスとベントレーの日本語による専門書もほぼなく、クラシックのロールス、ベントレー、さらにはヴィンテージ期のW.O.ベントレーや戦前のロールスを使う英国並みの趣味人は皆無でした。輸入商として、またコレクターとして実践してこの分野で仲間を増やして来ました。日本のミッレミリアやコンクールなどのイベントに参加して、楽しみ方を示して来たという自負はあります。望みであったミュージアムもできたし、近年は本も出せました。ペブルビーチにも参加できました。

そんな私が今またクラブの方に顔を向けるとすれば、個人としてより知的に、おしゃれに、和やかに、自由に、そしてもちろん走ることを中心に、という理念だけはあります。その理念を共有して、具体的には皆さんが肉付けしていただければと願っています。うまく言えませんが、古い車の趣味は文化的であるというフレーバーを漂わせたい、というのが私の希望であり趣味的な好みとなります。ロールス・ロイスだから権威的に、というのはクラブの設立趣旨とは違うと感じます。いずれにせよ私の勤める時間は短いと自覚しています。仕事でもクラブでも体力が追いつきませんが、少しでもお役に建てれば幸いです。

RRBOCJ 会長
涌井 清春